袋井中学校の歩み

戦後文部省は、昭和21年(1946年)12月30日に新学制の方針を発表し、3年間準備期間として年次毎に改めていく予定であった。

     しかし、連合軍総司令部の強い要請があって、昭和22年3月31日に学校教育法が公布され、4月1日から急に実施することになった。

    どの町村も校舎の建設が間に合わず、兵舎の資材で建てたり、国民学校や青年学校等の教室を借用していたりするところが多かった。

    生徒は、それまでの国民学校が初等科6年、高等科2年を置いていたので、国民学校初等科6年が卒業して中学1年に、高等科1年が中学2年に高等科2年が中学3年になった。

    青年学校の希望者も2年や3年に編入することができたので、年齢が高い生徒も学級の中にいることになった。

    また、教員も青年学校や国民学校の教員等が教員適格審査委員会の審査を経てなった。

 

 

 

 

 袋井中学校の創立開校は、昭和22年4月21日である。

 この日、現在の袋井南小学校にあった民生館で 「静岡県磐田郡袋井町、周智郡久努西村組合立袋井中学校として開校入学式が行われた。

 袋井南小学校は、当時は袋井町立東小学校であった。 新学制による中学校を開校はしたが、教室がなく本部は東小学校(現:南小学校)におき、東小学校(南小)、袋井女子商業高校(現:袋井中学校の場所)静岡県立袋井商業学校(旧市役所、 現南公民館の場所)の教室を借りて授業が行われた。

  また、現在の袋井南小学校内にあった青年学校からも編入する生徒が男女で数人いた。教室も教科書も服装も十分ではなかったが、新制中学校は男女共学となり、清新な空気に溢れていたという。

 

 

 

 昭和23年4月1日からは、袋井女子商業学校を買収して現在の場所に移転した。

   当初は教室が十分でなく、袋井西小学校の教室も借用した。

    昭和23年9月1日には、久努西村と袋井町の合併によって

「静岡県磐田郡袋井町立袋井中学校」と校名が変更された。さらに、昭和24年5月20日には、久努村刮目中学校と合併し

 「静岡県磐田郡袋井町久努村組合立袋井中学校」と校名を変更。続いて昭和27年12月1日には、久努村と合併し、「静岡県磐田郡袋井町立袋井中学校と変更された。」

 

 

その後、昭和29年11月3日に今井村と、 昭和31年9月1日には田原村の一部と合併、さらに昭和33年11月3日に市政が施行され、 「袋井市立袋井中学校」という現在の校名になった。

   昭和37年生徒数が1966名のところ、今井村の一部の生徒が周南中学校へ分離した。

    また、都市化により人口の増加が見込まれたので、 昭和50年4月には袋井南中学校と分離同居し、同年9月から完全分離して現在にいたっている。